みなとくりつきょうどれきしかん港区立郷土歴史館
丸で囲まれた文字を解読表に従って変換し、左から読もう。
(解読表に記載のない文字は使用しない)
コッホ・きたさとじんじゃ(しろかねきたさとどおりしょうてんがい)コッホ・北里神社(白金北里通り商店会)
看板の文頭を通って暗号図のSからGまで進んだ途中の文字を読もう。
(ルール:移動は右か下にのみ可能)
しろかねしょうてんがい白金商店街
みなとくりつきょうどれきしかん港区立郷土歴史館
港区立郷土歴史館は、昭和13年に竣工した旧公衆衛生院建物を再整備した施設です。白金台駅から徒歩1分。出土した縄文土器やクジラの骨格標本など、本物に触れることができプロジェクションマッピングやタッチパネルを活用しながら港区の自然・歴史・文化を学ぶことができます。カフェやミュージアムショップもあります。
コッホ・きたさとじんじゃコッホ・北里神社
北里柴三郎が、師である世界的細菌学者ローベルト・コッホの死を悼み建てた神社。現在は北里柴三郎とコッホがともに祀られています。同敷地内にある「北里柴三郎記念博物館」にもぜひお越しください。
※神社の近隣で騒いだり、ゴミを捨てたりしないようにお願いいたします。
※病院や大学には立ち入らないようにお願いいたします。
しろかねしょうてんがい白金商店街
明治43年に設立されてから昭和、平成と名称を変えながら、現在の『白金商店会』となりました。近年ではキャッシュレス化も積極的に導入しており、飲食店も多数あるので街歩きの途中の休憩スポットにぴったりです。下町の風情と、温かなふれあいに満ちた白金商店街へぜひお越しください。
北里柴三郎(1853-1931)は、東京医学校(現在の東京大学医学部)を卒業後、6年間ドイツに留学し、ローベルト・コッホに師事しました。留学中には、多くの研究者が不可能と考えていた破傷風菌の純粋培養に成功し、血清療法を確立しました。帰国後、芝公園内に私立の伝染病研究所を設立しました。研究所はのちに、国に寄付され国立となり、港区白金台の土地へと移ります。そこが現在の東京大学医科学研究所です。
1894年、香港でペストが大流行した際には、現地に赴いてペスト菌を発見し、ペスト菌を媒介するねずみ退治のため猫を飼うことを推奨し、役所でねずみの買取を行うなど、日本のペスト防疫事業に取り組みました。
1914年、国立伝染病研究所所長を辞任した後、私立北里研究所を現在の白金に設立し、研究を続けました。北里は、自身の研究のみならず後進の指導にも取り組みました。北里は常々「事を処してパイオニアたれ。人に交わって恩を思え。そして叡智をもって実学の人として、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を貫け。」と門下生に説いていたそうです。
そんな北里は、門下生や同僚からドンネル先生(雷おやじ)という愛称で畏れられ、かつ親しまれていました。