けいおうなかどおりしょうてんがい慶応仲通り商店街
ひゅうがざか日向坂
つなざか綱坂
あざぶじゅうばんしょうてんがいしんこうくみあい麻布十番商店街振興組合
けいおうなかどおりしょうてんがい慶応仲通り商店街
JR田町駅・都営地下鉄三田駅と桜田通り(三田通り)を結ぶ路地を中心に位置する商店街です。近くには慶應義塾大学があることから、「慶応仲通り(けいなか)」と呼ばれています。夜も営業している飲食店が多数あるので、憩いや街歩きの後のお食事にぜひお立ち寄りください。
ひゅうがざか日向坂
江戸時代前期南側に徳山藩毛利日向守の屋敷がありましたが、由来は不明です。振袖坂ともいったり、誤ってひなた坂とも呼ばれました。津田梅子がこの付近に住んでいたといわれています。坂の名前がついた柱に書いてある文字で謎を解いてみましょう。
つなざか綱坂
羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説によります。津田梅子がこの付近に住んでいたといわれています。坂の名前がついた柱に書いてある文字で謎を解いてみましょう。
津田梅子(1864-1929)は、日本初の女子留学生の一人として6歳でアメリカに留学します。6歳まで暮らしたのが、三田綱坂下といわれています。綱坂を登ると渋沢栄一の孫の敬三など渋沢家が邸宅を構えた三田綱町があります。11年後に帰国した梅子は、日本女性の置かれていた状況に驚き、日本における女性への教育の必要性を感じたとされています。
華族女学校の教授を勤める中、再びアメリカに留学した梅子はブリンマー大学に入学します。当時の梅子が学んでいたのは生物学です。1894年には梅子が執筆した「蛙の卵の発生について」の論文がイギリスの学術雑誌に掲載されています。
帰国後は、引き続き華族女学校や女子高等師範学校で教鞭をとりました。1898年には、アメリカで開催された「万国婦人クラブ連合大会」に出席しました。また、ヘレン・ケラーやナイチンゲールとも面会するなどの経験を経て、女性のための私立学校「女子英学塾(現在の津田塾大学)」を設立しました。
真摯に問いかける梅子の姿勢に信頼が広がり、女性の自立と地位向上を目指す教育理念が広く理解を得たとされます。